最高裁判所第三小法廷 昭和58年(オ)758号 判決 1983年11月15日
上告人
能勢初枝
右訴訟代理人
近藤正昭
下村末治
三瀬顕
野間督司
林一弘
被上告人
谷口拡子
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人近藤正昭、同下村末治、同三瀬顕、同野間督司の上告理由について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし肯認するに足り、右事実関係のもとにおいて、本件土地を含む原判示の従来地七三番についての賃貸借契約が合意解除されたのちに、右土地が宅地化されたことにより、右合意解除は、農地法二〇条所定の知事の許可を経ることなく完全に効力を生ずるに至つたものとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決の不当をいうものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(伊藤正己 横井大三 木戸口久治 安岡滿彦)
上告代理人近藤正昭、同下村末治、同三瀬顕、同野間督司の上告理由
原判決は、左記のとおり、訴訟法に違背して経験則違背、判断遺脱の誤りを犯しており、また、農地法二〇条の解釈を誤つている。
これらは、いずれも判決に影響を及ぼすべきことは明らかである。
一 本件訴訟における唯一の争点は、上告人先代亡小山長之助と被上告人の親権者であつた谷ロカツエとの間において、被上告人主張の如き合意解約が存したか否かである。
そして、右合意解約の存否につき、直接立証しうる証拠としては、現存する当事者である右谷口カツエの証言しかない。
したがつて、本訴においては、右合意解約を主張する谷口カツエの証言が措信しうるものか否かが最大の要点であることは言うまでもない。
二1 ところで、右谷口証言を措信しうるか否かを判断するについては、右合意解約の存在とは相容れない上告人本人の左記のとおりの供述がある。
すなわち、上告人が当初より供述しているとおり、
「谷口カツエは、亡長之助の死後一四年間にわたつて毎年年末に上告人が持参する賃料を受領している」
という供述であり、右供述が信用できるものであれば、証人谷口の証言は全く措信できないものと言わなければならない。
2 これに対して、前記谷口は、賃料の持参およびその受領を次のように否定している。
「長之助死後、控訴人が年末に地代を持つて来たことは一度もありません。年末以外にも、又、他の用件でも同人が私方へ来たことは一度もありません。私は控訴人とは全くつき合いがありません」(原審証人調書第二項)。
この供述は一審においても繰り返されていたもので、前記谷口は上告人が自宅を訪れたことは一度もないとして賃料の受領を否定しているのである。
3 ところが、上告人は、前記谷口が一度も来たことがないと否定している谷口方の昭和四〇年以前からの間取りを知つているのである。
すなわち、谷口は、
「私の家は玄関を入るとすぐ土間で左が部屋になつています。この土間は昔はずつと奥まで続いていたのを昭和四〇年頃に改造したのです。このような間取りを控訴人が何故知つているのか分りませんが、私の留守中に来られたことは考えられます」(前記証人調書第三項)
と供述しており(右調書では谷口が自発的に供述した体裁になつているが、右は上告代理人の、「以前はこういう構造になつていませんか」等々の質問にしたがつて証言したものである)、更に、上告人自身
「被控訴人方は玄関を入ると土間になつていて昔は通り庭にいました(注、「なつていました」の誤記)、その後に奥の方の土間を上げて台所にされました。玄関を入つた側は畳の部屋で年末には水引きを巻いた若松をきれいに生けてあり」(前記本人調書第四項)
と供述しているとおりである。
このように、上告人が被上告人方を訪れていたのは昭和四〇年頃より前からであることが明らかである。
これについて、前記谷口は
「私の留守中にこられたことは考えられます」
と供述しているのであるが、しかし、この供述は前記谷口の、上告人は一度も来たことはない、全くつき合いがない、という供述にさえ矛盾するばかりでなく、「留守中にこられた」と供述する供述態様自体からしても、上告人の訪問が再々あることを窺わせるに十分であろう。
そして、上告人が被上告人方を訪れる理由は、それこそ賃料の支払以外には全く考えられないのである。
三 このように、「上告人が昭和四〇年頃以前より被上告人方を訪れている」という事実は、前記谷口の証言を措信するか否か、合意解約の事実が存したか否かについて、これらをすべて否定する重要な間接反証事実である。
したがつて、このような重大な間接反証事実があるにもかかわらず前記谷口の証言を措信し、しかも、合意解約の成立を認めるには、それ相当の理由がなければならない。
ところが、原判決が摘示する「賃料支払」の事実を否定する理由は次のとおりであつて、全く理由となつていない。
すなわち、原判決は、
1 農家基本台帳に上告人に関する記載がない
2 宅地化されるについて農業委員会が問題なく承認許可している
3 上告人の夫が入院していた三、四年間は全く耕作しうる余地がなかつた
4 上告人の家族構成、その勤務状況
から照らして
「それ以前の期間においても、その主張するような耕作を続け、」
とし、それに引続いて
「したがつて、また、毎年年末に賃料の支払をも続けていたかは疑わしく」
と記載して、上告人らの供述を措信できないとしている。
そもそも、この判示自体誠に歯切れが悪いばかりでなく(措信しないとしているのであるから、「支払を続けていたかは疑わしく」などと記載する必要がないはずである。原判決の事実認定への躊躇ぶりが感じられる)、原判決が掲げている諸事由は、耕作を続けていたか否かを否定する理由となすことはできたとしても、賃料支払の事実を否定する理由には全くなり得ないのである。
上告人の几帳面な性格を言わなくても、一般に、賃借権を主張しようとすれば耕作しなければ余計に賃料はきちんと支払うというのが通常のはずである。
まして、前述したとおり、証人谷口の証言を措信するには、前述の、重大な間接反証事実が厳に存在するのであつて、右事実を無視した原判決は、経験則に違背し、ひいては判断遺脱の誤りを犯していると言わざるを得ない。
四 加えて、上告人の供述する次のような間接反証事実が存する。
1 亡長之助の死後小山捨次郎に耕作を手伝つて貰つていたが、又貸しと思われたらいけないので手伝つて貰うのをやめた(一審本人調書三丁)
2 亡長之助の死後間もなく谷口清蔵(谷ロカツエの義弟)が本件農地を返してやつてくれと言つて二回上告人方を訪れた(前記調書三丁終)
(原審本人調書第六項)
3 上告人の夫の入院していた病院で福井政治郎が「あの畑を返す話は済んだかと聞いた云々の事実」(一審本人調書五丁)
4 被上告人方へ地代を持参していた当時、辻村良太郎という人も地代を持つて行つていた(原審本人調書第五項)
これらの事実をも全く措信できないとするなら、上告人が架空の事実とデッチ上げたことになるが、これらの事実が上告人がデッチ上げられるような事実かどうかは一読すればわかるはずである。
加えて、上告人方では、亡長之助の死後の昭和三八年二月一日および、昭和四五年一月三〇日、三一日に宇治市農業協同組合に対して出資している(甲第二五ないし第二七号証)事実があるが、この事実なども、上告人らが本件農地の賃貸借が継続していると考えていたからこそ(上告人は本件畑以外農地はない)右出資に応じているのであり、農協の組合員であるという事実こそ重大な間接反証事実である。
そして、被上告人は、本件合意解約について農業委員会の許可手続を経たという主張すら全くしない。
右は、上告人の供述によつても、被上告人らは本件畑の返還を欲していた事情が窺われ、真に合意解約であれば直ちに手続を取らないはずがないのであるから、農業委員会の手続を取つていないと言うこと自体合意解約の事実がなかつたという反証事実になると言うべきである。
五 成程、民事訴訟法は、自由心証主義を取り(同法一八五条)、証拠の採否は裁判官の裁量に委ねられているとはいえ、その判断は合理的でなければならず、事実認定の専門家と言うものはないのであるから、その判断は慎重にかつ経験則に則つたものでなければならないことは言うまでもない。
本件においては、前記谷口証言を措信するとするならば前述のとおり無視し得ない重大な間接反証事実が存するのであるから、これを否定する十分な理由なく前記谷口の証言を採用し、合意解約の成立を認めることは、経験則に違背し、ひいては判断遺脱と言わざるを得ないものである。
(素直に読めば、供託の経緯事実に関する供述をみても、証人谷口の証言が措信できるはずがないことがわかるはずである)
六 なお、原判決は農家基本台帳に上告人に関する登載がないことを重視しているようでもあるが、しかし、上告人の供述から判断されるように、上告人が畑を返さないのに業を煮やした被上告人らが、昭和四七年以前に(それ以前の前記台帳は存しない)賃借権放棄ということで上告人に無断で一方的に処理した疑いが非常に濃いのである。
七 また、原判決は、合意解約について知事の許可がなくてもその後宅地になれば右許可が不要と解している。
しかしながら、農地法の立法趣旨からして、しかも、本件においては、上告人において直ちに畑として使用して現況は宅地ではないのであるから、知事の許可は不可欠と言わなければならない。
まして、本件においては、上告人の権利を無視して宅地造成しているのであるから知事の許可は不可欠である。
いずれにしても、原判決は法令の解釈を誤つている。